薬学部で留年するとどうなる?留年を経験した薬剤師による留年経験記

no-su
留年という重たいワードが今回のテーマです。
今回の記事では留年したことを励ますつもりはないです。ただ、留年しても元気にやっている人もいるよという実例を紹介したいと思います。
ちなみに私は薬学部6年制の始まり(1期生)のタイミングで入学し、6年制2期生として卒業しました。

私の留年経験記

留年のタイミング

私は3年生の時に留年しました。(3年生を2回経験しました。)

1年生の時はあまり問題なかったのですが、2年生の頃から徐々に単位を落とし始め、3年生の頃に「2年生の時に落とした単位+3年生の単位」という借金生活に突入し、3年生の後期で留年が決定しました。

留年した理由

部活(テニス)、麻雀、ゲーム(主にモンスターハンター)にかける時間が勉強時間を大幅に上回っていました。ええ、遊びすぎです。

テニス、麻雀、モンハンと、どれも2~4人くらいの少人数で遊べる素晴らしい遊びです。誘いが来て授業中に抜け出すということも日常茶飯事でした。

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これらの遊びは、「少ないメンバーで簡単に始められるので、誘われやすい」というデメリットに、今記事を書いていて気づきました。
また、試験勉強は全教科を真面目に取り組むのはとても大変です。私のような不勉強人間には、過去問などが必須なのですが、私は友達が少なく、定期試験の過去問集めなどの試験情報集めにとても苦労しました。
そんなこんなで、結果的に1年間で落としてもよい単位数を上回り、留年が決定しました。

留年が決まって思ったこと

「もう人生終わった・・」と思いました。

学費を両親から払ってもらっていたので、「両親が学費払わないという決定をすれば、自分の最終学歴は高卒になるなー」とか「奨学金を目いっぱい借りれば、学生を続けられるかなー」とか考えていました。

さらに「高卒で何のスキルもない自分はどこで働けるのか、どういう職につけるのかな?」など妄想が止まりませんでした。

留年が決まってから、学生を続けることが出来るのか分かるまで、とても鬱々とした日々を送りました。

留年後の学生生活

めでたく?留年生活初日を迎えた最初の講義の日、緊張と不安から朝早くに目覚め、近所の桜並木を散歩したことをよく覚えています。

初日は同じ時期に留年が決まった「留年フレンズ」と一緒に教室に入りました。
自分は3年生で留年したのですが、既に1年生、2年生の時に留年した人たちがなんとなく教室の隅っこに固まっていたので、自分たちもなんとなくその近くに陣をとり、肩身の狭い留年生活がスタートしました。

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「現役の皆様すみません、教室の隅にお邪魔しています。」という気持ちで過ごしていました。

留年した人たち同士では変な連帯感があり、過去問や過去レポートの共有などが行われ、実習などで同じグループになることが多かったので、不思議と留年によって友達が増えました。
また「元同学年の友達」や「元後輩(留年したことで同学年)の部活メンバー」からも過去問などを入手できたので、意外とそういう情報には困りませんでした。

また、留年した身として、授業を抜け出して遊びに行くなんてことはとても恥ずかしくてできなかったので、自然と授業を真面目に聞くようにはなりました。遅刻すると視線を浴びるので、遅刻も減りました。(「遅刻するくらいなら休もうかな」ということも数回ありましたが・・)

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留年してから日が浅いうちは、教室に入るのも恥ずかしくて嫌でしたが、すぐに慣れました。「絶対無理だ」と思ったことでも意外と慣れるもんだなーと思いました。

留年してから「4年生~6年生を過ごす研究室」を決めたのですが、興味のある研究室がなかったので、私はすごく適当に選びました。
漢方薬も植物もまったく興味がなかったのですが、大学の植物園の管理も行っている教授のもと、なりゆきで漢方・生薬についての研究室に入りました。

結果的に、この研究室での時間は自分の人生にとって、とても大事な時間を過ごすことになりました。
植物園で水やりなどのお世話や、タケノコやフキノトウの収穫と調理、池にいるメダカの捕獲など、薬学生としては「一体コイツ何をしているんだ」という感じですが、周りの目を気にせずに植物園で過ごす日々がとても楽しかったです。他の研究室の部屋を借りて研究を行っていたのですが、そこの研究室の人とも一緒に遊びに行くほどの中になりました。

留年する前は遊びほうけていましたが、留年することによってようやく「勉強」と「遊び」どちらも両立することができるようになりました。

この研究室での日々が影響して、就職を考えたときに「漢方薬についてもっと知りたい」というイメージを強く持つことが出来ました。
適当に選んだ研究室なのに、です。

留年と社会人

留年経験者は多い?

社会に出てから、留年経験者が結構多いことが分かりました。大学入試での浪人、国試浪人などもあわせると結構な数がいます。

私は自分の事を話すときに、卑下するために「自分は留年しているので・・」というフレーズをよく言うのですが、「私も留年」「私は浪人」ということを聞くことも多いです。

薬剤師にとって、留年は案外、特別なことではないようです。
体感では、1~4年生の間に各学年の大体10%くらいが毎年留年しているかなと思います。

留年経験者の地位は?

留年すると会社や病院で出世できないという心配は一切ありません。面接の際に、留年の理由などを聞かれることはあるかと思いますが、就職してからは一切そのようなことは関係ありません。あとは実力主義です。

社会人になってからはいかに必要な知識・スキルを自ら身に着けていくかということが重要になってきます。

留年していようがしていまいが、向上心がなければ留年後のように「教室の片隅で過ごすようになる」可能性があります。

留年経験者の現在

私は今でもたまに留年に関わる夢を見ます。

そして朝起きて、自分が薬剤師であることを思い出してほっと一息ついています。

ちなみに、留年したのは今から10年くらい前です。

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私はたまにあるこの留年の夢によるストレスで、きっと寿命が少し短くなっています。

留年している人、決まった人に向けて

現在進行形で留年している人、留年が決まった人にとってはとてもつらい時間だと思います。親への反省など、あえてここでは何も言いません。

留年に直面して頭がいっぱいの状態のときは、「こんなことではだめだ」とか「恥ずかしくて学生生活を続けられない」とか思ってしまうかと思います。

「もういっそのこと、留年を期に薬学部をやめようか」という考えもよくわかります。実際にしんどい部分も多いです。
ですが、もし辞めずにすむのであれば、決して大学を辞めないでください。

薬学部をやめてもやめなくても、この経験とは向き合っていかなくてはいけません。
もし留年がきっかけで大学を辞めて、就きたくもない仕事に就くようであれば、「留年」は最悪の経験になります。

しかし、もし、それを克服できれば「留年のおかげで友達が増えた」「留年のおかげで話のネタが増えた」「留年のおかげで変なプライドを捨てることが出来た」といういい経験に変えることができます。
留年後の自分の行動が、現在、未来、そして過去の自分を変えることができるのです。
その一例として、私の息子は「私が留年したおかげ」で生まれた、「留年ベイビー」です。

私自身、薬剤師になってみて、「薬剤師は留年してでも、なるべき職業だったな」と感じています。薬剤師としてつらいことも、もちろん多いです。しかし、「自分の勉強したことがそのまま、目の前の患者の利益になるという仕事」にはとてもやりがいを感じます。

どうせ薬剤師になってしまえば、あとは知識とスキルがものをいう実力社会です。
留年なんて気にする暇のないくらいの日々が始まるのです。

留年してしまった人の頑張りを心から応援しています。

no-su
がんば!
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